第7章とエピローグ

今回は7章とエピローグを読んだので書いていきたいと思います。

大きくなっていた飯田さんははここから色々な事業へと乗り出していきました。

失敗したものもありますが飯田さんは失敗を恐れず挑戦することが大事だとおっしゃっています。

この章で飯田さんはとても大事なことをおっしゃっていました。

ニュービジネスを始めるとき必ず規制の壁にぶち当たるそうです。それは当たり前です。でもそれを一つ一つしっかりと乗り越えなければなりません。これはニュービジネスの宿命だそうです。しかし、飯田さんは自由に行うことが大事だと確信を持っているそうです。社会にとっていいこと、正しいことは、必ず通るからだそうです。

周りの言うことをどのように受け止めるかは自由なんだと思いました。ただそこで諦めることなく、信念に基づけば必ず成功するんだと思いました。

飯田さんは90歳まで現役でやっていきたいとおっしゃっています。また生まれ変わっても事業家として締めくくりたいらしく飯田さんは根っからの事業家だなと感じました。

第6章終わり

第6章まで読んだので感想を書きたいと思います。

今回の章ではどんどん他国へと進出していきました。ここで飯田さんはアジアではジョイントベンチャーアメリカではM&Aと進出方法は異なりました。ですが、運営に関してはどこの国でも現地主義を貫いていました。普通お目付役をどの企業も置くのですがセコムはそれをしませんでした。自分はとても驚きました。勝手なことをされたらたまったもんじゃありません。でも飯田さんはしっかりと信頼を置ける人をトップに置いているので飯田さんの人間関係築き上げ方を見習いたいなと思いました。そしてこの世界進出はどの国も大きな成功を収めています。

飯田さんは昔国際警備連盟の会合で笑われていました。でも今は欧米の人々もセコム方式は優れているといいます。これは飯田さんが信念を貫き通したからこそだと思います。笑われても自分が正しいと思うことをやり続ける。それは簡単なことじゃありません。でもそういうことをやり遂げることができる人たちがこの世の中では成功していくのだと思いました。

第6章途中まで

第6章の途中まで読んだので感想を書いていきたいと思います。

 

会社は1971年10月以降日本初、世界初の安全システム、商品を次々と開発していきました。

社会の見る目もガードマンの会社かと思っていたら、エレクトロニクスの会社だったと変わったそうです。そこから全国に支社や営業所を開設していったため資金需要が高まってきました。ですが資金集めにとても苦労しました。そこで株式を上場したいという考えが強くなり、また事業を展開していく上で会社をパブリックにしておく必要があると思ったそうです。そして親戚のツテもあり野村証券を幹事会社にして上場しました。東京証券取引所はどの産業分野に入れるか悩んだそうです。

そこから自身の体験をもとに飯田さんはホームセキュリティを開発しました。そのおかげで契約した家の人はとても安心できたそうです。

飯田さんは会社が大きくなっただけで満足せず次々とアイディアを浮かべて安心を提供していきました。このハングリー精神を自分も身につけたいと思います。

第5章を読んで

今回は第5章の残りを読んだので感想を書いていきたいと思います!

 

機械で警備することが少しずつ普及して来たころ、そのおかげで犯人を逮捕するというお手柄が増えていきました。だが、その犯人は未遂に終わっているのですぐ釈放され、また侵入してきます。でもまたすぐ捕まるのです。機械が見ているとはこの時代の人は思わないので逮捕された人はすごく不思議に思ったそうです。この話はとても面白いなと思いました。

そしてなんと連続ピストル射殺魔逮捕に大いに貢献して警務士の人が警視総監から感謝状わさをもらいました。そしてそこで色々な人から電話をもらい、その流れでのちにセコム社長になるとても優秀な木村氏が入社してくれることになりました。この事件を契機にどんどん契約が増え、併せて得がたい人材も手に入れたそうです。

 

ここで大きな決断をしました。巡回警備を打ち切り、常駐警備の契約料をアップさせるということでした。機械警備の一本槍で行くことを決めたのです。どちらの警備も契約が好調だっただけに役員は皆驚いていたそうですがその夜皆でお酒をのみ、ばか騒ぎして役員もやるしかないという思いになったそうです。そしてこの決断は間違えではなく契約は急増しました。

 

飯田さんはここから大手電機メーカー数社から業務提携の話を持ち込まれ、手を組めば一気に儲けることができたのですが、楽をして儲けることは会社の成長を止めるため選ばなかったそうです。飯田さんのこういう精神にとても感動させられます。自分の信念をしっかり持つことが何よりも大事なのではないかと思いました!

 

次は第6章を読んでいきたいと思います。

ではまた!!!

第5章の途中まで読んで

今回は第5章の途中まで読んだので感想を書いていきたいと思います。

1966年はセコムにとって、とても大切な年となりました。まず数々の苦難を乗り越えたことで組織が固まったことと、もう1つは日本で初めて機械で警備しようとしたことです。そのために芝電気というとこに概念図を携えて機械の開発を依頼し、完成しました。

 

この機械を契約する時に売るのかそれともレンタル制にするのかというものが大きな問題だったと言っています。飯田さんは珍しくレンタル制を選択しました。世界でも大体が機械を売るので国際警備連盟の会合でそのことを発言した時はみんなに笑われたそうです。でも、飯田さんは売るのは機械ではなく安全であるという信念があったのでそこだけは譲りたくなかったそうです。そしてこのことがセコムを築いたとまで言っていました。

ここでは簡単に諦めないで粘り続ければ何か見つけることができるということを学びました。

 

次は第5章の残りを読んでいきたいです。

ではでは。

 

 

第四章を読んで

今回は第四章まで読んだので感想を書いていきます。

 

第四章は会社の向上と危機でした。この章を読んで企業経営というものはジェットコースターのようなものだなと思いました。

当時、東京オリンピックが開催されており自転車競技場やクレー射撃場などの警備を受け持つことになりました。そこでテレビや新聞、雑誌がこぞって取り上げてくれらようになり、警備業が社会に広まり、契約件数は急増しました。そしてその後すぐにテレビドラマの企画が持ち込まれ、そのドラマが大ヒットして、モデルとなった飯田さんの会社の知名度が上がり、売り上げも前年度の二倍になりました。ただドラマ化する上で間違ったイメージで伝わらないよう、脚本を見せて欲しいなどいくつか条件をつけたそうです。

ただ、こっから悪い事が連続で起こります。

飯田さんをよく思ってない社員が契約先に会社にとってはマイナスな手紙を配布したり、ある雑誌に飯田さんの誹謗記事が載ったりと散々でした。

ですが、こっからさらに悪い事が起こります。

伊勢丹の社員が六百万円相当の宝石を盗んだ容疑で逮捕されたのです。そしてその後1ヶ月ほどの間に5件窃盗事件が起こりました。それにはさすがの飯田さんも意気消沈してしまい、飯も喉を通らなければ、1ヶ月間はテレビも新聞も見なかったそうです。

ですがそこから組織がしっかりと固まったそうです。嫌気がさしてやめた社員は1人もいず、契約先も一件の解約もありませんでした。自分はこれは飯田さんが今までやってきた努力の賜物だと思いました。色々なことを徹底してやっているし、社員も大事にしているからこそこんなピンチにも周りで残ってくれる人がいたのだと思います。

そこからは自分に気の緩みがあったのだと反省し、全国を回り、各職場で、研修を行い、その後社員と一緒にビールを飲み社員の意見や要望に耳を傾けました。一年かけて千名以上の社員に会ったそうです。

自分はここがセコムという会社が大きくなった要因だと思いました。代表が全国を回り、一緒に酒を飲み意見を聞く。社員からしてみればこんなにうれしい事はないとおもいます。

 

次は第5章を読んでいきたいと思います。

第3章終わり

第3章を読み終わったので感想を書いていきたいと思います。

 

3章の後半は契約が取れるようになってきたと同時に問題がいくつか出てきました。

まず警備を担当している警務士が、その建物の出入りの業者から入場許可証のバッジ代と騙して百円を徴収しているかが発覚したそうです。飯田さんはすぐ現場に行き即刻、解雇にしました。

そしてまた職権を利用したと見なされても仕方がない行為を見つけ、優秀な社員でしたが解雇しました。情状酌量の余地もあったそうですが当時は企業として成り立つかどうかという時期だったので厳しくせざるを得なかったそうです。解雇した3人の名前は今でも覚えてるそうです。

次の問題が東京の労働局から、平たく言えば人入れ稼業ではないかという疑惑を持たれ、職員が聞き取りに来たこともあるそうです。ハードな交渉を重ねたのち黙認ということになったそうです。

今回この章を読んで飯田さんは仲間想いなんだろうなととても感じました。会社のことを考えて解雇した社員の名前を今でも覚えているほど解雇するときに悩んだのだと思います。

 

次は第四章を読んでいきたいと思います。